ピアノの音色は不変

ピアノのお話

近頃、ニホン人の生活と音楽のあり方は徐々に変化してきています。

昔は、音楽といえばラジオで聴くものでした。

大好きな物の曲をラジオで何度も聴き、口ずさみ、そして共有していく。

そういうふれあいをしてきました。

その後、レコードの普及によって、ニホン人と音楽は一気に距離を縮めます。

加えてカセットテープの登場で録音まで可能となり、好きな音楽を好きな時に楽しめるだけでなく、保全したものを友達に貸す等と言う楽しみ方が出来るようになりました。

1980年代にレコードに代わって出現したCDは、1990年代に爆発的な売れ行きを記録しました

2000年代に入ると、今度は配信と言う形に移行し、音楽がデータとしてパーソナルコンピュータや携帯電話で行き交うようになったのです。

そういった時代のチェンジに伴い、音楽そのものも徐々に変化しています

現在ではパーソナルコンピュータ上で曲を創ることも可能で、音楽に携わっているプロではない一般人であっても作曲が出来るようになりました。

ただ、そういった中で変わらないものもあります。

それは、音色です。

たとえば、ピアノ。

ピアノの音色は、何百年も前から近年に至るまで変化していません。

当然、厳密には構造も含め、あるくらいのチェンジはあるでしょう。

ですが、ピアノの音は、仮にショパンの曲がそうであるのと一緒で、昔も今も同じ「ピアノの音」です。

どれだけ時代が動いても、変わらないもの。

数わずかそれらのなかに、ピアノは含有されているのでしょう

ピアノの誕生

かなり長い歴史をもつピアノの創世記は、今から300年以上昔の1700年にまで遡ります。

当然、当時は今のような形のピアノではなくどちらにしても「弦を叩いて音を出す楽器」と言うアイデアの下に作られた物で、いわばテスト製作と見受けられますから様でした。

鍵盤と言う概念は比較的すぐ生まれ、ピアノより前に鍵盤楽器の始祖として「クラヴィコード」と言う楽器が出て来ました。

クラヴィコードは、実は14世紀頃にはもう出現していただと評価されています

たいへんシンプルな構造で、音量も現代のピアノと比べるとかなり弱く、小さかったやうです。

ただ、鍵盤を縦に揺らすことでヴィブラートがもたらされる等、現代のピアノでは出来ないこともすることができることから、今だに愛好者がワールド中にいる楽器です。

チェンバロは17世紀に出現した鍵盤楽器で、音量を強化することによってクラヴィコードより強い音が出せるはめになってましたが、ヴィブラートをつくりあげるなどの音の強弱表現はしてもらえなりました。

しかしながら、この楽器は貴族や地位の高い人々の目に留まり、ワールド各国で利用される評判楽器となったのです。

こういった背景もあり、ピアノは18世紀、1700年代初頭に出現します。

発明したのは、案外もドイツ人ではなくイタリア人です。

バルトロメオ・クリストフォリと言う人が、クラヴィコードとチェンバロの両方の持つ利点を兼ね備えている鍵盤楽器を開発しようと着手し、生み出された発明品でした。

クリストフォリのピアノの発明によって多くの偉大な作曲者が出現し、ピアノはワールド的な楽器となっていきました。

近代~現代のピアノ

1700年代は、ピアノと共に存在した時代といっても過言ではないほど、ピアノの普及と向上は早かったといわれています。

まず、クリストフォリが開発したピアノは、その弟子のジルベルマンによってより一層向上します。

その向上したピアノを紹介され、その後ピアノに没頭したのが、かの大音楽家バッハです。

バッハの登場によって、ピアノと言う楽器は一気にメジャーなものとなったのです。

より一層1770年代中盤になると、スタインと言うチェンバロ製作者がオリジナルの技法でより一層ピアノを向上させます。

そのピアノを聴いて感嘆し、ピアノ演奏を採用したのが、あのモーツァルトです。

モーツァルトは、晩年までそのピアノを愛用したといわれています

こういった偉大な音楽家の出現もあり、ドイツではピアノと言う楽器が一気に普及しました

その後、イギリス、フランスといったヨーロッパ諸国だとしても評判を博し、特に1700年代後半に興った産業革命、フランス革命等によって一般層の中からもブルジョアといわれるお金持ちが生まれるようになってからは、ピアノは貴族や上流階級の人々だけでなく、一般層にも広がりを見せていったのです。

そして、ピアノは時代と共にその構造をチェンジさせていきますが、それだとしても音色はそのままに向上し、1800年代に現代のピアノとして完結を見ます。

ニホンでは、1887年にヤマハ(YAMAHA)が出現してから、ピアノが普及しはじめました。

その後も1927年に河合楽器研究所(カワイ)が設立される等、多彩なピアノ製作会社が生まれ、ピアノはニホン人の音楽のなかに浸透していったのです。